服部のこだわり
歴史
温故知新の精神
100年を超える服部豆腐の歴史は、当時から温故知新の精神を持ち続けています。
創業当時より南禅寺参道の湯豆腐店に卸しており、本物の豆腐へのこだわりはそこから続いています。
「にがり」豆腐復活の歴史
とうふといえばにがり、ですが実は第二次世界大戦の際「塩」の統制があり「にがり」が手に入りにくかったことでにがりの代わりに「硫酸カルシウム」(いわゆるすまし粉)が使われる様になりました。
すまし粉を使用した豆腐は、豆乳濃度が薄くても造れ、豆乳の凝固反応がゆっくりのため使いやすくにがりより楽で、保水性に優れているのでなめらかでやわらかく仕上がると好評でした。
全国的に昔ながらのにがりを使うところはほとんどなくなってしまった時代がありました。
しかし「すまし粉」の豆腐と「にがり」の豆腐は全く味が違うと、当時の代表は考えました。本当の豆腐の美味しさのためには「にがり」の豆腐でなくてはならないと。そして、長年の開発によりにがりの豆腐を復活させました。
当時は非常に珍しい試みで、京都でのにがり豆腐復活のパイオニアと言っていただいています。
現代まで改良を重ね続けて・・・
にがりを使った豆腐のすばらしい点は大豆の風味がそのまま生きると言うところです。熱い豆乳ににがりをうつ。そうすることで大豆の香り、甘みが豆腐に残ります。納得できるものができるまで試行錯誤の繰り返しでした。
「南禅寺豆腐」と言える豆腐をよみがえらせた服部豆腐ですが、その後も改良を重ね「消泡剤」を使わない豆腐造りに成功。
(大豆加熱時に生じた泡を消すもの。泡があると食感が悪くなるため多くの場合使われています。)
長年培ってきた職人の技術と知識によるもので、今でも当社では大豆とにがり(=塩化マグネシウム)のみで造っています。
南禅寺豆腐の歴史、京都の歴史
- 京都の歴史
京都よきもの
「水 水菜 女 染め物 ・・・
- 京都の歴史
食材を広く世界に求める都市としての京都
京都の商家で、月の一日十五・・・
- 南禅寺豆腐の歴史
京都よきもの
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- 南禅寺豆腐の歴史
食材を広く世界に求める都市としての京都
京都の商家で、月の一日十五・・・
沿革
100年続く服部の歴史です。
- 明治43年 創業服部新一郎が現在地(京都市左京区黒谷町3番地)に「服部豆腐店」を開店。
創業当時より南禅寺門前の湯豆腐店に卸を行う。 店での小売り、行商、市場への出荷、料理店への卸を行う。 - 昭和40年二代目新吉が店主になり、父の豆腐造りを継承。
- 昭和55年三代目一夫が店主になり、十年来開発してきた100%にがり豆腐を発売。
戦後、凝固剤はすまし粉が主流となっており、京都でのにがり豆腐復活のパイオニア。 - 平成元年株式会社服部食品を設立。資本金1000万円。
- 平成6年"南禅寺御用達豆腐"の名を受ける。
- 平成8年現在地にて工場拡張。
- 平成13年現在地にて工場再拡張。
- 平成16年大本山南禅寺より商標「南禅寺どうふ」の使用許可を得る。
- 平成19年資本金を1100万円に増資。
- 平成22年南禅寺豆腐屋 服部は創業から100年を迎えます。